せっかくですので、下に掲載の「友好萬年」文字の解説(訂正) |
先般掲載の「友好萬年」に関する解説について、書体が金文ではなく甲骨文ではないかというご指摘を受けた。それについて検討した結果、「萬」の字形がはっきり甲骨文であること、「好」の「子」が甲骨文であることから、ご指摘のように「甲骨文」の作品として取り扱ったほうが妥当との結論に達したので、ここに訂正版として掲載し直します。以下、訂正版
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「年」の「禾」の左「垂れている」部分が鳥虫篆(前々回記事参照)のようにも見える、との指摘を受けた。しかし、これは鳥虫篆では無い。
まず、漢字の歴史の話になるが、19世紀の末、中国河南省のいわゆる殷墟(殷の都の跡)から、文字を刻した亀の甲や牛の骨が出土した。殷王室が公的行事を決定するための「うらない」を立てるのに用い、「うらない」の文とそれに関する簡単な記事を刻して神聖な記録としていた。これが、知られている最古の漢字ということになる。(後に、殷墟以外から、より古い甲骨文が発見されている。)
これは、その刻するプロセスの関係から、刃物でスパッと切った直線構成が基本となる。このほか、殷代には銅器に鋳込んだ金文も相当数存在する。この金文はやはり製法のプロセス(鋳込む)から、丸みをおびた字形となる。
そして、殷の次の周代(西周)となると、殷の甲骨文字などを受け継ぎ、周王室建国の意力も加えおごそかな書体というものが成立する。しかし、周王室の力が衰え、春秋戦国時代(東周)になる。
春秋戦国時代は地方(国)によって文字の字形も異なっていた(現在の地球を想像すると良い、国によって言語も異なる)(ちなみに、ややこしい話になるが、この春秋戦国時代の呉、越などの文字に鳥虫篆がある)。この周代の銅器に鋳込んだ文字の書体がいわゆる金文(周金文)ということになる。
次に、秦の始皇帝によって中国が統一され、後は、文字も統一され、現在「小篆」、「秦篆」と言われている字体になる。
以上が、非常に簡単な、殷代から秦代までの漢字の歴史ということになる。
これは、上記の甲骨文ということになる。したがって、かなり古い字体なので、よりプリミティブな象形文字の特徴を持っていることになる。
この「年」であるが、上下に「禾」+「千」から成り、「禾」はいね科植物の頭部の垂れている形(象形)、それに、「千」の転音が音を表わし(形声)、みのるという意をもち、華北では1年に1度みのることから1年の意となった。つまり、この「年」の「禾」の左「垂れている」部分は、いねの実がなっている象形ということになる。
ついでに、他の字形も解説すると、
「友」=(会意)「又」(右手の象形)が2つある形で、手を重ねているさま。相親しんで助け合うともの意。
「好」=(会意)「女」と「子」から成り、若い女の美しさの意。ひいて、このましい、このむ、よいを意味する。また、巧に通用する。
「萬」=(仮借)もともとは「さそり」の象形。音を借りて、数の名とする。なるほど「さそり」に見えますね。