石鼓文の話(文字の変遷なども含め) その4 呉昌碩 |
我々書道というか篆刻業界に身を置く人間は、石鼓文というと、まず呉昌碩を思い浮かべる。というのは、呉昌碩の臨書した石鼓文がかなり現存し、それが石鼓文学習の第一と言われているからである。
どうして、そんなに呉昌碩臨の石鼓文が残っているかというと、呉昌碩は書画篆刻によって生活していたという背景がある。つまり、「呉昌碩先生、私のために石鼓文の臨書作品を書いてください」と依頼されると、「ホイキタ(とは言わないだろうが・・)、では揮毫します」とスラスラ書いたわけだ。そして、当時も有名書画篆刻家である呉昌碩先生の作品であるから、大事にお宝として現代まで残っているわけだ。
ただ、この呉昌碩先生は石鼓文の本物の拓本(写真版も含め)を見たことが無いという信じられない事実もある。つまり、現代のように簡単に写真版の法帖が買える時代ではなかったということである。呉昌碩が底本としたのは複製資料(雙鉤=阮刻本)だという。そのためか、それともそれさえも見ないで「スラスラ」書いたせいか分からないが、呉昌碩流の文字がかなり見られる。
しかし、この石鼓文に限らず、篆書を習うには、拓本資料より、清代作家の臨書によるほうが習いやすい。