頭を曲げると他の字になる? |
どうして篆刻をやる上で「説文部首五百四十」をやる(おぼえる)必要があるかというと、誤字防止という側面がある。

例えば、「大」(部389=画像右下)と「それに似た字2つ」(部391=画像左上「カシラヲカタムケル」、部392「夭」=画像左中)がある。
・「大」は象形=人を正面から見た形。(側面から見た形が「人」という字)
・「カシラヲカタムケル」は読んでそのとおりの象形。
・「夭」は指事=「大」頭部を右方に屈曲して、まがるの意を示す。ゆえに、本義は「かがまる」。→物のめばえはその形が巻曲しており、初生のままで枯死することあれば、巻曲したままで伸びることがない。故に転じて、わかじにの意にもちうる。
ということになる。これらを、篆刻作品で、混同して用いている人もいる。だから、この「説文部首五百四十」はおぼえたほうが良いと言える。