文字の変遷 |
篆刻をやっていると、多少の文字学のようなものが必要となる。それが、また、篆刻の面白さみたいなものだろう。
先に(自用印で)、私「隆山」の「隆」について(説文と白川説)書いたが、こういう「諸説」あるというのは、やっかいな話となる。ただ、それを「文字の変遷」という風にとらえてみれば、そういう事は多いし、納得も出来る。字形は時代時代によって「変わる」ということだ。
現代日本で使っている字体(活字体、筆記体としての楷書)も、昭和20年の敗戦ーーその戦後に「日本式?簡略体として変わった」ものが少なくない。例えば、前述の「隆」も「生」の上に「一」があったのだが、省略されてしまった。(蛇足だが、こういうことにこだわり旧字体を何が何でも使う人は多いようだが、私は容認している・・・・「一」が有ろうが無かろうが、私は気にしない。)
そのように、説文というのは後漢時代の文字学(小篆学?)であって、白川静先生のおっしゃるように、誤りだったのだろうが、それが流布し通用体となったのであって・・・・それはそれで「そういうルール」と理解するのが正しいのだろう。何事にもルールがなければ「何でも有りのプロレス」のようになってしまう。丸い土俵の中で行なわれる大相撲のようなものが分かりやすいし、また、伝統として生き残るのだろう。「何でも有りのプロレス」は一過性となりやすい。