いろいろあって良いのだ |
中国、中国人は違うのだろうが、日本、日本人の場合、篆刻作家はあまり「人前」で刻ることはしない。書家はパフォーマンス書道、席上揮毫というような形でどんどん「人前」で書くようになったのだが・・・篆刻は、小さくて見栄えが悪いせいかもしれない。あと、全プロセスを見せるには時間がかかる。
そういったこともあり、篆刻作家それぞれの技法というか制作方法はベールにつつまれている。うかがい知るのは、技法本を出版している先生の技法くらいで、しかもその当人が本当にその技法で制作しているかは分からない。
私自身も「教える技法」と「自分の作品制作技法」が異なることもある。例えば、印床使用で、私は使わないが、初心者には勧めている。刃物への心理的抵抗感というハードルが低くなれば、それはそれでメリットと考えるからである。しかし、初歩の段階で頻繁に印床使用すると、ほぼ100%の人が、一生印床を使い、最初から印床を使わない人の場合、一生印床は使わない。「三つ子の魂百まで」のような話で、私は後者に属する。
ー印床ー
まあ、いろいろあって良いのだ。
篆刻において「最大」の技法のいろいろ(違い)は、布字(字入れ)の方法と思う。私が行なっている方法は、朱文、白文に関わらず「字を朱墨」で書く。正式名称かどうか知らないが「朱書き」と私は言っている。この反対が必ず「字を墨」で書く「墨書き」だ。つまりウチの流派(朱書き流派)では、白文印の場合「布字は印稿と朱墨の関係が反転する」ことになる。墨書き流派では、朱文印の場合に反転する。どちらが良いという話ではなく、そういう2方法があるということだ。
ー布字「白文印」「風」3顆ー
このように2方法(2流派)が生じた要因は知らない。しかし、「朱書き」のルーツは書丹であると師匠の古川悟から聞いている。書丹とは、碑文(例えば曹全碑のような)を刻する時、石碑に下書き<篆刻に例えれば布字>を朱墨ですることである。